2006.12.30

 本当に久しぶりにいつもの河原へ散歩に行きました。すっかり冬らしくなっていて、いつもより早くツグミがやって来ていました。カワセミをはじめ最後にはオオタカまで姿を見せてくれて良い鳥見納めが出来ました。

撮れたての写真を展示しながら「野生動物救護」について少し書きたいと思います。

保全センターで保護飼育されている鳥たちは野にいる鳥達と比べると、色が薄く羽根のつやも少ない。たぶん飼育の環境が整っていないためだと思います。
改善の余地があることは間違いはありませんが、限られた人手と設備、予算の中でどうすべきかを考え、少しずつでも良くしていく方向を模索しなければいけないし、これには行政だけに頼っていてはどうにもならず、県民や企業などの協力をいただかないと無理だと思います。
自然環境保全センターは読んで字のごとく、環境の保全を仕事としています。
この場合の環境保全とはあくまで人側の立場に立ってとられる政策で、農業林業などの利益と野生動物による被害とのバランスを取るということを意味します。つまり、産業に被害が出れば野生動物の総数コントロール(捕殺)をしなければならないし、同時に野生動物の保護もしなければならないという極めて相反する業務をしているのです。
野生動物救護の目的とは何なのでしょうか?
「自然界で十分に生き残れる状態にして野生復帰させる」
ということが欧米の共通認識です。

子孫を残す事が出来る状態にして野生に返せば、役に立つ事業だと思います。それを実証する目的で放野した動物のその後の行動を調べるために大きな哺乳類については追跡調査を実施していますが、鳥類に関してはこれからデータをとって検証をする段階だと思います。
傷ついた動物達の救護をして野生に返す事が地域の個体群の保全に貢献をしているのか、いないのか・・・
これは疑問に思うところです。世話をして野生に返した動物達はきっと生き残り元気にしている・・・という希望にかけるしかない今の状態を目の当たりにして、ハチドリのクリキンディーではありませんが「そんなことをして何になるんだ?」という自問をしてしまいます。救護の現場に携わる人にとっては1羽、1匹でも多くの動物を野生に返す事が至上命題なのです。
しかし、こうした救護を通して野生動物の生態や生理のデータ収集が出来、人間の犠牲になっている野生動物達を広く一般の人に知ってもらう事も出来るのも事実です。
また、傷ついた動物の世話をする事は野生動物への理解を深める手っ取り早い方法でもあります。

ヒナや成鳥を保護して、そのまま育ててしまう人もまだ多いと思います。
「許可なしで野鳥を飼うことは出来ません。」
違法飼育防止のため保護と誘拐の違いを一般の方に知ってもらうことはとても重要です。

翼を折って運ばれてくる軽い骨折の鳥たちは野生に返せますが上腕骨骨折など重傷な場合、その多くは終生飼養となります。自治体が進めている里親制度がそうした鳥たちの受け皿となっています。欧米などでは野生復帰できず引き取り手も見つからない場合は安楽死をさせることもあるようです。日本では傷病鳥の対処ガイドラインが整備されていなくて、判断は個々の施設に任されているのが現状だと思います。
これから先、野鳥にとって良い環境になることはないと思いますので、救護される鳥は決して減らないと想像できます。里親制度については合法的に野鳥を飼育できる制度とも受け取ることが出来る等、色々な意見があると思いますが現実に増え続ける救護個体を安楽死という選択肢をとらず、人との共生を実現させるものとしては良い制度だと思います。

救護ばかりでなく救護された人為的原因を取り除く事も、とても大切です。

本当は野生動物救護がない世の中が一番良いに決まっています。
何もしなかったら何も変わりません。小さな事でも何かを始める事が一番大切だと思います。

今年一年野鳥達と接して驚いたのは、保護された野鳥はいくらお腹がすいていても人間が与えた食べ物を食べないことがある事です。(もっとも体力が落ちすぎて食べられないということもあるので、強制的に食べさせます)放っておけばたぶん餓え死ぬのでしょう。
「武士は食わねど高楊枝」ではありませんが野生の気高さともいうのでしょうか。鷹類などは、その最たる例だと思います。
そのような難しくデリケートな生き物を相手にしている事を、あらためて感じました。

上の写真のオオタカはドバトを狙っていましたが、狩りの途中でチョウゲンボウの妨害にあい、狩りは成功しませんでした。写真をよく見るとオオタカがクチバシに小枝をくわえているのが見えるはずですが、いかがでしょうか?

それでは皆さま、良いお年をお迎え下さい。

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