公私ともに忙しく更新作業を怠っていました。
野鳥の大量死などが世間を騒がせているようで、野鳥恐怖症の人が多くならないように願うばかりです。
ゲストブックにも書きましたが、ここのところ鳥達の写真を撮影していません。
もっぱら肉眼で楽しんでいます。人の目という物は不思議な物で、カメラで言う「ワイド」から「望遠」まで自由自在にズームが出来ます。シャッター速度もある程度変わるようです。飛んでいる鳥を見ていると、羽ばたきの仕方が分解写真のように見えてきたり、飛びながらあちこち見ている様子がわかるようになったりします。
最近思ったこと・・・。
バードサンクチュアリなるものに行きました。
そもそも、サンクチュアリなのに何故人間が行けるのだろう?とは思いましたが一度は見物しておこうとスケベ根性を出してみました。森の中にベニヤ板で囲われた地区があり、板にあいた穴から鳥を見るという所でした。
「あっOOOだ!」 「かわいい〜!」など奇声が飛び交う所です。
長玉をつっこんで写真を撮っている人もいました。
第一印象は「なんだこりゃ?」。
ベニヤ板で囲われていても鳥たちにとって見れば、そんな物無きに等しいはず。
ちゃんと人間の存在を意識しています。
人が住めない地区を除いて、今の日本には鳥の聖域なんて存在しないのか・・・
せっかくツバメの写真を載せていただいたのですが、管理人は「バーダー誌」の編集方針に疑問を持ち、買わなくなりました。
昨年なかばに、とある記事に対して山階発行の資料と共に抗議文を文一出版に送ったのですが、その返事が未だに来ません。東京のバードフェスティバルに対し「商業主義」と苦言を呈していた編集長の骨のある意見が聞きたかったのに残念です。
商業主義と野鳥の保護という物はどうも両立は難しいようです。
さて、物の見方には二つあってそのどちらかが必ずしも正しいという物ではありません。
かつての日本野鳥の会が「保護」と「利益」を天秤にかけていたのは、少し野鳥の世界に首をつっこんだ人なら知っていることだと思います。
最近はまっている「カラス」について。
カラスたちは雑食で様々な物を餌として利用しています。人間が出す「ゴミ」や野鳥の雛、都会のネズミや浜辺のゴカイ、池のフナ・・・などなど。
この時期「花見」が旬です。見物客がいれば当然のように「ゴミ」が出されます。その「ゴミ」を目当てにカラスがやって来て食べ散らかします。その結果「ゴミ」は無惨にもあちこちに散らばり目を覆うような光景になり、「カラスの仕業」とカラスを悪者に仕立てます。もっとも、桜見物客がゴミを出さなければ、こんな事にはなりません。
これから野鳥たちは子育てシーズンに入ります。ようやく巣立った雛たちをカラスは襲い食べてしまいます。これを見た人間は「カラスは残酷だ」とレッテルを貼ってしまいます。同じく、鷹などの猛禽類も巣立ち雛を襲い食べます。でも猛禽類は人目につかない山の中等で捕食を行うので「残酷」というレッテルを貼られることはありません。
カラスが増えて困っていると人は言います。でも、何故増えたかを考える人はあまりいません・・・。
「シマリスのほおぶくろ」さんの記事を読んで思ったこと・・・
「標識リングは重いのか?」と題する記事が「バーダー誌」に掲載されたようです。
私たち地上生活者にとっての「重さ」と地上&空中生活者の鳥にとっての「重さ」をイコールで論じている内容はいかがなものか?色々と面倒な計算をしているようですが、どうせなら物を空中に保持するために必要なエネルギーと地上で持ち上げるために必要なエネルギーをきちんと計算してくださいね。さらに、鳥類とその他の地上生活動物の食餌におけるエネルギー摂取効率比較などもあるといっそう深い記事になると思いますし、鳥たちに限らず動物たちの生活圏が縮小され、食餌が思うように出来くなりつつある日本では、こうした比較の方が納得できると思います。
もっと科学的な検証の必要があるのではないでしょうか?
野鳥に興味を持つと、望遠レンズやフィールドスコープでは飽きたらず、「もっと近く」で見たくなるようです。
その「近くで見る」チャンスを与えてくれるのが標識調査を取り入れた見学会です。
管理人はこうした見学会全てを「悪」とは見ていません。
しかし、「シマリスのほおぶくろ」さんの記事に書かれた見学会(憶測も含め)は「あまり良くない」と思います。
昨年の山階鳥類研究所、尾崎標識室長との面会の際「野鳥に親しんで貰い、標識調査を理解して貰うために調査を活用するのは良いことだと思う」という話がありました。
「きちんとした手順で行われる見学会」は確かに啓蒙効果があり、普段見ることの出来ない鳥を間近に見られる良い機会でしょう。当然、「きちんとした手順で行われる見学会」は野鳥に思いやりのある調査を前提としているはずです。
自然と生き物相手ですから悪天候の時もあるでしょうし、網にかからない時もあるでしょう。
決して見学者に媚びてはいけません。科学者、真理の探求者としての自覚を持って見学会を開催すれば良いのです。
また見学会で野鳥を見る人たちも、こうして捕まえられた鳥たちはどうなるのだろうか?とか鳥の立場で物を考えられるようになって欲しいものです。