2004.12.23
 今回は鳥さんの撮影でのタブーについて書こうと思います。まあ、軽く読み飛ばして下さい。

 鳥の撮影を始めてびっくりしたのが、こんな趣味性の強い分野にもかかわらずタブーとされている事があったことです。そもそも、自分は世間の常識と言うことが何より嫌いですので写真の世界で常識を持ち込みたくないというのが正直なところです。

 例えば、空抜け、煩雑な背景、ブレボケ等々。なぜいけないの??

 たぶんご高名な先生方が「鳥の写真はこうあるべき」などと仰っているのだと思います。ちょっと待って下さい。そもそも自由なはずの表現の世界に、わざわざ足かせをはかせる必要があるのでしょうか?コンテストの評論を読んでいても、写真を画一的な方向に持って行こうという意志を感じてしまいます。ある意味その意見は正しいことが多いのですが、それでよいのでしょうか。みんなが同じ方向を目指すことは表現の世界では空しいことだと思います。

初めのうち模倣は最善の勉強方法です。しかし、いつまでも続けていると自分を見失ってしまいます。常にフィルターを通して物を見てしまうことになりかねません。自分自身の場合でも、今とても素敵なフィールドにいながら現実を見ていないという悲しい自分を発見して、愕然とすることがあります。いったい何のためにここにいるんだろう。もっと目の前の現実を素直に受け入れよう。そうすると今までかかっていたフィルターがスーっとはずれ、自分の写真を撮れそうな予感がします。

 「空抜けになってしまいました」というコメントをWEBで読むたびに、何故こんな事を書くのだろうと思いました。鳥写真の世界では空に抜ける写真はNGとされているのに違いない。何とも不思議な話です。絵画・・特に日本画ではよく見かける構図です。シンプルな背景が潔く主題が生き生きと描かれた水墨画、モノトーンに浮かび上がる主題・・とても美しいです。

 心に感じた物を写し撮るのが写真です。それは目の前の紛れもない現実かも知れないし、実際にはあり得ない心象風景かも知れません。人それぞれです。例えばあなたの目の前に鶏の卵があったとします。自分の感じたように撮影して下さい。たぶん100人いたら100通りの写真ができあがるでしょう。答えはありません。それがおもしろいのです。

 ところで、良い写真とはいったいどんな写真でしょうか?

 昔、あるカタログ会社のクライアントに同じ質問をしてみました。するとその人は「自分は写真について詳しくはありませんが、商品が売れる写真が良い写真です。思わずそれが欲しくなる写真が良い写真だと思います」と答えてくれました。この答えに思わずはっとしました。

 何故写真を見て者が欲しくなるのでしょうか。綺麗に写っているから?美味しそうに写っているから?そうかもしれません。いずれにしてもそのような写真には、人の心を動かす何かがあるはずです。お世辞にも綺麗に写っていない写真が、何億円もの売り上げに貢献している事もあります。反対に、誰が見てもかっこよく写っている写真を使っても売り上げが上がらないこともあります。綺麗、綺麗じゃない、格好いい、格好良くないという主観を超えた力が働いているのでしょう。一つだけいえることは他人の批評によって左右されるものではなく、実際に写真を見た人のみが感じ得るものだと言うことです。

 自分の心を強く動かす写真は自分にとってきっと良い写真です。自分は良くないと思っても他人の心を動かす写真もきっと良い写真です。自分も良いと思って、他人の心を強く動かす写真はもっと素晴らしい写真に違いありません。

  森山大道という写真家が「ブレ、ボケ、素粒子」ノーファインダーの写真で一世を風靡したことがありました。正直、彼の写真には写真を超えた何かが写っていました。カメラ雑誌のグラビアに彼の存在、息吹を強烈に感じました。よく表現できませんが確かに自分の心を強く揺さぶりました。思えばあれが写真からメッセージを受け取った初めての出来事だったと思います。

 図鑑の写真を目指している人には当てはまらないと思いますが、自分は自分の写真を撮影したいと思っています。ですから、ブレてもいいんです。ボケても良いんです。それが自分の感じたものと近かったら、それはきっと自分にとって良い写真です。そして写真を見てくれた人が何かを感じてくれたら、もっとハッピーなことに違いありません。

 

 堅苦しいことは嫌いなので、趣味の世界では自由でいたと思います。もし、これをお読みの皆様も趣味で鳥の撮影をしているのでしたら、一度純粋に写真というものをゆっくりと考えてはいかがでしょうか。意外と新しい発見があるかも知れません。

本文中の写真は挿絵として入れていますので、作例ではありません。

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